人は生きて必ず死の世界へ帰ります。
教祖には死が怖く有りません。
だって避けられ無い物だから。
他人も自分も、やがて死にます。
その時期が誰にも解らないから、
不安や恐怖が付きまとう。
長生きを望む人はどんな人生の未来を描いてる?
身体の自由も利かず、
思いも伝えられず、
美味しい物も食べられず。
それでも1秒でも長生きしたいのか?
人工呼吸器、強制的な点滴、、、、、
別に長生きじゃ無くても良いが、
明日の自分を描いて今日を生きている人。
そんな人って意外と希少だろうな。
自虐的な発想かも?そう思うが、
目的意識を希薄なまま生きてる。
それが現実だと思う。
目標があれば、
「そこまでは死ねない!」
そう思うから頑張れるし絶えられる。
今、危篤状態のオヤジには、
どんな明日の目標が有るんだろうか?
みんなも考えてみて。
何の為に生きてるのかを。
教祖には、
先に逝ったお袋と、
今、瀕死のオヤジを看取る役目が残ってるようだ。
教祖は、「まだ死ねない」そういう事です。
そのあと残るのは?
何だろうか???
今はまだ見えないが、
只、オヤジの最後までシッカリと見届ける。
それが今の目標って「「寂しすぎ」かな!?
2008年2月11日月曜日
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